2008年12月02日

いまさらですが「いじめ」について2

A 「隠蔽」によるメリットはあるのか

ここでは、仮に「隠蔽」があったとして考えていきます。私たちは、子どものころから、親や教員などの大人から、「正直は善、嘘つきは悪」という価値観を刷り込まれています。成長するに従って、「嘘も方便」ということを理解するようになってきますが、基本的には、嘘をつくことは正直であることよりも心理的な負担が大きいものです。それにもかかわらず、嘘をついて「隠蔽」するという場合、何らかの動機が必要になります。今回のいじめ問題の報道を見ると、「隠蔽」の動機は自己保身であるとされています。「隠蔽」することが可能であったのは、学校では校長、教頭、関係教諭、教育委員会では、学校教育担当の幹部職員ですから、彼らの全員もしくは一部が、「隠蔽」によって自己保身を図ろうとしたことになります。
 彼らは、何から自分たちを守ろうとしたのでしょうか。多くの人が真っ先に考えるのが、「」処分を受ける」「昇給や昇格に影響する」というような不利益を被ることを避けたいということではないかと思います。それでは、いじめによって子どもが自殺した場合、どのような処分が行われるのでしょうか。教育委員会が、管轄下にある職員に対して行うことができる行政上の処分は、免職・停職・減給・戒告の四種類です。また、教員や職員は、地方公務員であり、地方公務員法の定める事由による場合以外には懲戒処分を受けることはありません。
 体罰や指導力不足などが明らかになると、「そんな教員はくびにしろ」と口にする人がいます。私も、教育委員会に勤務していたときに、教員の免職を求める電話を何件も受けたことがあります。しかし、感情的には許し難いと思っていても、法を無視して教員を免職処分にすることはできません。「免職するということをお約束することはできません。処分規定に則って、対応させていただきます」と答えると、「お前もグルか」と罵声を投げつけられることもありました。心の中は、「くびにできるものならとっくの昔にしているよ」と言い返したい思い出いっぱいでした。そして、処分規定によれば、子どもがいじめを受けたことを苦にして自宅で自殺したというケースでは、教員は懲戒処分を受けることはないのです。これは、多くの自治体で同じような規定になっています。
 一昨年、今回のいじめ問題を受けて、東京都教育委員会が、「教員がいじめに加担していた場合」を懲戒処分の対象とするという処分規定を設けました。そのことを報じる記事には、「いじめに特定した処分規定は全国でも珍しい」と書かれていました。つまり、ほとんどの教育委員会は、いじめについての教員処分期待をもっていないのです。しかも、これは、「いじめに加担した」ということであり、「いじめに気付かなかった」ということは、処分の対象ではないのです。ですから、滝川市のケースも瑞浪市の場合も、処分はあり得ないのです。
 もし、処分を行うとしたら、地方公務員法三十三条「職員は、その職の信用を傷つけ、または職員全体の不名誉となるような行為をしてはならない」の規定に基づき、いじめの「隠蔽」により、教員や校長、教育委員会職員という職業に対する信頼を失わせたという理由で行うしかありません。この場合も、あくまでも、「隠蔽」という意図的な行為があった場合です。まだ、処分に該当する行為をしていないのに、その行為を隠して処分を受けようとする馬鹿者はいないでしょう。まして、校長や教育委員会の管理職は、企業の不祥事などを見ていて、「隠蔽」に対する世論の厳しさを知っているのですから。
 ちなみに、私自身も研修の中で、かなり多くの時間を割いて、危機対応を学びました。その内容は、多岐にわたっていて、ここですべてを紹介することは難しいのですが、マスコミ等への対応にかかわる部分について、内容を紹介してみます。
 ・嘘を言わず、隠し事をしない
 ・マスコミから逃げない
 ・言えることだけを正確に(訂正はごまかしととられる。話す内容は  文書化し、想定問答集を作成して会見に臨む)
 ・言えないことは言えないと明言する(「今の段階では、…」「調査  は終わっていますが、…という理由でお話しできません」「今後、  判明したことについては、いついつまでに記者会見を開きます」)
 ・対応する窓口を一本化し、憶測や思い込みが漏れ一人歩きするのを  防ぐ
 ・教育上必要な配慮への協力依頼は遠慮せずに(「このことについて  は、今お話ししますが、記事にするのは、いついつまで待っていた  だきたい」)
・公平を期し、特定のマスコミにのみ情報を提供することはしない
 どうでしょうか。当たり前のことばかりで、難しいことでもありません。私なら、自分のくびを賭けてまで無能な教員や校長を守る気にはなれません。
 では、給与面では、どうでしょうか。このことについても地方公務員法には、「条例で定める事由による場合でなければ、その意に反して降給されることはない」という定めがあります。当然、勤務成績優秀ということでの特別昇給は見送られるでしょうが、特別昇給自体が、ごく一部の者にしか与えられないものですし、額も月数千円に過ぎません。けっして、必死になって「隠蔽」する動機にはなりません。昇格についても、同様です。そもそも教員の多くは、教頭や校長への昇任を臨んでいませんし、校長や教頭、教育委員会の幹部という立場の人が降任されることもありません。せいぜい、同じ参事職でありながら、内部的にはやや格下の部署に回される程度でしょう。校長や教頭なら、現任校よりも「問題校」といわれる学校に異動させられるだけのことです。主流から傍流に転落してしまうというのなら、出世欲の強い人にとっては「隠蔽」の動機になると考える人もいるかもしれませんが、それも間違いです。そもそも自殺者が出たこと自体、関係者の評価をマイナスにする方向で働くものなのですから、外部にもれなかったからといって、結果は同じなのです。
 しかも、今回のケースでは、既にマスコミに取り上げられているのですから、「隠蔽」の意味はありません。我が国では、公的な処分よりも私的な処分、無責任な噂や憶測、そのことによる冷たい視線や村八分的な対応のほうがはるかにダメージが大きいというのが実情ですから、ニュースとなった時点で自己保身による「隠蔽」は意味がなくなるのです。
 むしろ現在では、組織の長にとっては、潔く自らのミスを認め、謝罪し、必要な対応をとった後で、自らの進退を委ねるという態度をとったほうが世間から好意的に見られるということは常識になっています。おそらく、滝川市でも瑞浪市でも、幹部と言われる人たちは、そのことを知っていたはずです。
 もちろん、彼らの中に「温度差」はあるでしょう。担任教員は直接責任を問われる度合いが大きいでしょうが、教育長であるならば、いくつもある学校のある学級でのいじめについて把握できていないことは、「しかたがない」とみなされる度合いが強いということです。そうだとすると、教育長や校長は、積極的に自らの管理責任を認め潔さと事後対応における有能さをアピールしようとすると考えるほうが自然です。そして、「隠蔽」するか否かの決定権は、教育長や校長がもっているのです。
 つまり、「隠蔽」の動機は薄弱なのです。私も、教育委員会の幹部という立場にありました。その間、多くの問題が起こりました。マスコミの取材を受けたり、住民説明会に出席して話をしたり、議会で追及されたりした経験もあります。そうした際にも、極力オープンにしていこうとしたものです。このことは、私が良心的人間であるということを意味しているわけではありません。あくまでも危機対応の基本であるということです。それどころか、本心を言えば、学校教育担当幹部職員として、正直且つ迅速な対応ができる有能さをアピールする「自己保身」でさえあったのです。
 以上のことから、私は、滝川市、筑前町、瑞浪市の担当者は、「隠蔽」という意図はなかったはずだと考えます。前項の繰り返しになりますが、やはり、責められるべきなのは、悪質な「隠蔽」ではなく、「無能」なのです。「隠蔽」だろうが「無能」だろうが、問題があるという意味では同じではないかという人がいるかもしれません。そうではないのです。「隠蔽」に必要なのは処分と意識改革、組織改革であり、「無能」への処方箋は、研修による問題処理能力の向上なのです。腹痛を訴えているからといって、胃が悪いのか腸に問題があるのか、胃酸が過多なのか足りないのかという違いによって、治療法は異なってくるのです。悪性の腫瘍であれば外科手術で取り除く(組織改革)しかありませんが、単なる潰瘍であれば、手術よりも投薬のほうが適切な手段となるでしょう。「隠蔽」と「無能」を同一視してはいけません。
posted by motosuginorio at 06:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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